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活動報告

教育基本法改正案 衆議院通過(全文)

安倍晋三内閣が最重視する、前国会で継続審議となっていた教育基本法改正案が11月15日に衆議院特別委員会で可決され、よく16日、衆議院本会議を通過して参議院に送付されました。政府、与党としては会期末までに成立しない場合、会期を延期しても今国会で成立させる意気込みで臨んでいます。

T's PARK写真1947(昭和22)年、GHQ(連合国軍総司令部)施政下で立法されて以来、時代の流れと変化にそぐわなくなったまま放置されていきた教育上の憲法ともいえる教育基本法は、全く装いを新たにし、国家百年の大計であるわが国の教育の礎として、21世紀の我が国の教育の指針となることが期待されます。

私は衆議院議員に初当選以来、我が師と仰ぐ田中龍夫元通産相、元文相の衣鉢を継ぐ思いで文教政策に力を注ぎ、衆院文教委員長、文部科学副大臣、大臣を拝命するなかで教育基本法改正に全力投球してきました。その私が衆議院特別委員会でこの改正案が可決されるまさにその場で、委員として伊吹文明文科相に最後の質疑をする役回りとなったことは誠に感慨の深いものがありました。

ただ、民主党を初めとする野党が欠席戦術をとって審議を拒否し、与党による単独採決をせざるを得なかったことは極めて遺憾なことでした。野党側は義務教育の学童にいじめによる自殺が相次ぎ、教育基本法改正のタウンミーティングでやらせの実態が明らかになった以上、もっと審議時間をとるようにと主張したが、マスメディアの論調に明白なように、こうした問題と教育基本法改正を結びつけるのは、牽強付会としかいいようがありません。審議は前国会で49時間38分、今国会で55時間38分行っている。合計で105時間16分にのぼり、野党側の質問者は再三にわたって蒸し返し質問を繰り返していたのです。野党の審議拒否はこの問題を政局にせんがための党利党略と断じざるを得なかったゆえんです。

私自身が教育基本法改正問題にじかに関わるようになったのは、振り返ってみれば10年前の1996(平成8)年、橋本龍太郎内閣が6つの改革を打ち出し、その6番目に教育改革を掲げたときのことです。私は当時、自民党政調会の文教部会長でした。以来、小渕恵三内閣では首相の私的諮問機関・教育改革国民会議が17の提言のなかでこの改正問題を取り上げ、森善朗内閣では町村信孝文相が周到な準備を重ね、小泉純一郎内閣で遠山敦子文科相が中央教育審議会に諮問、その答申を受け、続く私を初めとする文科相も努力を積み、さらに与党間の慎重審議を経て、ようやく本年初頭に教育基本法改正案の今国会提出にこぎつけたのです。

T's PARK写真長い歴史を持つ自民党政権でも、内閣が代われば、時の首相が政権の特色を打ち出すことに腐心するので、同じテーマが継承されることは皆無に近い。この教育基本法改正案の扱いは無例のことであり、それだけ国民から政権を託された自民党にとって、重大な課題といえると思います。

安倍首相は自民党総裁選時から教育改革を公約とし、内閣の最重要課題に教育再生を掲げておられます。私はこのことに心から賛同し、満腔の敬意を表しています。その実現に全身全霊を打ち込んで欲しいと願っています。特に内閣に「教育再生会議」を発足させたことは極めて意義深いです。私が小泉内閣下の文科相当時、経済財政諮問会議に呼ばれてしばしば教育論議を交わしましたが、経済効率優先主義の場で教育を語ることに違和感を覚えるのを禁じ得ませんでした。教育は市場原理では律しきれないのです。

小泉首相は就任時に「米百俵の精神」を強調されました。構造改革の実現には痛みに耐え、刻苦を乗り越えなくてはならない、と訴えたかったのでしょうが、私などは飢えに苦しむ長岡藩が寄贈された米を食べずに、人づくりの藩学に充てたことを評価しました。教育再生にも財政措置は欠かせないのです。5年後には基礎収支を黒字化するという安倍政権の大目標と教育再生をどう両立させるか。私は日本が世界に冠たる経済大国たり得た原点は教育にあるということを一時たりとも忘れてはならないと思います。その立場あっての財政改革でなくてはならないと思っています。

今回の教育基本法改正案で与党内、あるいは与野党間で意見の食い違いがあったのは「愛国心」の問題です。私は国を愛する心と態度の涵養を一体のものとして教育すればよいという立場をとっています。また、宗教教育についても異論が少なくありませんが、人間の力も超えるものに畏敬の念を持つのは極めて大切なことです。特定の宗教に偏ることは厳しく避けながらも、我が国の伝統と文化を次代に伝えるという視点でこれからの宗教教育には取り組んでいくべきだと考えています。また、いわゆる三点セットという言い方では、これらの問題に、教育行政が不当な支配をするといった懸念が挙げられます。法治国家にあって、行政が国民の信託に基づいて法の命ずるところをそのまま実行する、しなくてはならないというのは当然のことでしょう。国、地方それぞれに教育行政の役割はあり、分担すべきものといえます。ただ、最終責任はあくまで国が負うものです。昨年、議論を呼んだ義務教育費国庫負担制度はそれを制度として体現する根幹ともいうべきもので、財政上の見地から廃止することは絶対に許されないのです。


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